10月下旬だというのに強い台風が襲来しました。皆様の所では障りはございませんでしたでしょうか? 被害に遭われた地の一日も早い復旧を願っております。
さて、開催迫る2つのイベントを再度ご紹介します。画像をクリックしていただくと、拡大して見ることができます。『小梅忌』は当日の飛び入りも大歓迎です。いずれも皆様のご参加をお待ちしております。
10月10日朝、季節はずれの暑さではありましたがよいお天気に恵まれて、満員御礼の和歌浦ウォークがスタートしました。まず玉津島神社で中村会長が「小梅日記」に登場する記事を紹介。知人とお参りに来た小梅さんは隣の塩竃神社の前でお弁当を食べ、夕方川合家で準備してあったお風呂に皆が入って解散したとあります。当時は各家で毎日お風呂を立てるわけではないので、きっとみなさん喜ばれたことでしょう。(各写真はクリックしていただくと、大きくしてご覧になれます)
神社本殿で一同今日の安全をお願いし、中島副会長による玉津島神社の案内を聞いて次は観海閣のある妹背山へ。紀州特産の青石(緑泥片岩)が敷かれた三段橋を渡り小島をぐるりと東側に回り込むと、紀三井寺の遙拝所でもあった観海閣が建っています。当時は木造であった建物は石造りに再建されてはいますが、皆でその場に立つと「紀伊国名所図会」に描かれた人々が遊ぶ様子そのままのようです。明治十年の「小梅日記」にも家族や知人友人が集って楽しんだ様子が記録されています。水面に反射する光が天井に揺らぎ、満ち干の変化が美しい和歌浦の海を眺めて寛いでいると、時を忘れます。
観海閣西側の階段を上ると徳川家康の側室お万の方が家康の供養のために建て、十男で初代紀伊藩主頼宣が母のために改築した海禅院多宝塔があります。塔の下からはお万の方がそれぞれにお経を書写して埋納した夥しい数の小石が出てきたそうです。その調査をされた小林護先生から「ここにも拝殿があったはずだよ」と教えていただきました。
次に不老橋へ。嘉永四年に徳川治宝によって建造されたこの橋は、和歌祭の際に御旅所へ向かうための橋で、当時九州以外では珍しいアーチ型の石橋だそうです。「小梅日記」には御旅所完成の数日後に「ひごのくま本の者」が来るという記述がありますが、橋の建設に関わる人のことでしょうか。
その後、紀州東照宮まで市町川沿いに一直線に歩きます。現存する「小梅日記」のほとんどの年には和歌祭についての言及がある、と中村会長。小梅自身が見に行った時もあれば、家族の話を後で記していることもありますが、たいへん興味をもっていたことがわかります。お祭りの様子、見物する人たちの様子、天候に恵まれず右往左往する様子、またお城勤めの夫の和歌祭りへの関わりなど、お手元に『小梅日記』(平凡社)をお持ちでしたら、各年「4月17日」の項をぜひ探してみてください。
ウォークには小梅に興味を持って下さる方々に加え、川合小梅を研究対象にされている学生さんが東京からご参加くださり、J-comTVさんの取材も入りました。
皆様のご期待に応えることができたでしょうか。またの機会にも是非ご参加ください。
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<集合場所まで徒歩を選んだ、会員・平松さんの驚異のレポート!>
〇 十月十日 快晴 東の風1m 気温20度 「川合小梅さんゆかりの地を歩こう!」2017秋 玉津島神社 会員9時集合に歩いて間に合うよう、6時55分に畑屋敷の家を出た。玉津島神社までの距離は小梅さんが住んでいた西釘貫丁あたりと同じ約6キロ。グーグル地図のルート検索では徒歩で約1時間20分。ところでなぜ歩いていこうと思ったのか、約160年前の安政六年(1859)四月十七日「早々より起出る。今日和歌へ。」歩いて行ったであろう小梅さんの気分を味わってみたいと思ったからだ。出発するまでは最短距離の和歌川沿いを行くつもりだったが、なぜか急に遠回りしてでも国道42号線を歩きたくなった。小梅日記はいつも必然的な偶然を用意している。
家を出るとTシャツだったので少し肌寒く感じたが天気も良く気持ちはよかった。リュックサックに『小梅日記1』絵本『小梅さんの日記』『川合小梅のワンダフルワールド』『紀伊国名所図会 和歌浦の風景』などの本や、500mlペットボトル2本など入れているのでかなり重い。街中は私くらいの六十代と思われる多くの男性が同じようにリュックを背負って足早に歩いていた。私の趣味である庭木や街路樹を調べながらゆっくり歩いたので、和歌山城南側の美術館につくまで約30分かかった。そこで一休み。水分補給と十分なストレッチ後、和歌浦目指していざ出発。
42号線の道幅は広いがカーブしていたりビルが多いので、和歌浦の山はなかなか見えない。小梅さんの時代は妙見山や奠供山(てんぐさん)のあたりがすでに見えていたかもしれないなどと思っていると、日赤の前を通りすぎたあたりから秋葉山が正面に見えてくる。道沿いの大きなお寺(VR)に気を取られながらも目標の山を見すえ、20分ほどで県立図書館東側の高松交差点についた。紀伊国名所図会の「高松茶屋」はこの辺にあったのか、トイレ休憩も含めちょうど疲れて一休みしたくなる地点だな。まさか小梅さんがいくら酒好きだったとしても行きではまだお茶とお菓子だろうなと思いながら、秋葉山麓の 猊口石(げいこうせき)までいき二回目の水分補給と休憩。家を出発してから約1時間。あと一息。
さすがに歩道橋の辺りまで来ると和歌浦妙見山のコンクリート造 望楼がはっきりと見える。まだ集合時間までかなりあるので、今日のウオークの目的地のひとつである紀州東照宮の場所を下見してから、玉津島神社の集合場所に到着したのが8時40分。いつもは車で20分ほどの道のりだが、とても長く感じた。一人でなければワイワイがやがやと話しながらの楽しい道中だったのだろう。しかし暑い中ビルが立ち並ぶ街の通勤通学の時間帯、多くの車や自転車、救急車の音、パンを焼くかおりなど、これまで見えなかったものが見えてくる。
小梅さんの頃は雑賀山や名草山、和歌浦の目的地も最初から見えており、土の香りや動植物をたのしみながらの道中は短く感じたのではなかろうか。帰りはさすがに和歌浦バス停からJR和駅行きに乗った。<了>
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本日10月25日の例会では、ウォークの反省と迫りました小梅忌の打ち合せ、来年度のイベントの相談、そして忘年会日程などを話し合いました。11月例会では、会員の御所伸之さんによる「人国記・新人国記にみる和歌山人」の発表を予定しています。見学も大歓迎です。どうぞ遊びにいらしてください。
和歌山市立博物館にて、小梅の時代を取り上げた特別展が開催中です。 五回の特別講演会、どれもたいへん興味深い内容です。お近くの方はお聞き逃しなく。
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10月12日に芝田浩子さんが講師をつとめる江戸期の和歌浦・塗り絵体験会が開催され、ウォークで訪れたばかりの「観海閣」の図の着色に私も挑戦してきました。結果は芝田さんのテクニックに唸るばかりで、私の塗ったものをここにお見せすることは控えます。。芝田さんが説明されたとおり、色をつける事によって、ちゃんと描かれているのに隠れていた細かいものまで浮かび上がってくるところが、とても面白かったです。
ちょうど小梅さんと重なる時代の地誌書『紀伊国名所図絵』は当時の観光案内にもなっただろう、とても面白い書物です。和歌山市立博物館・額田先生の解説に芝田さんが彩色したシリーズ3冊がニュース和歌山社より刊行されています。小梅さんゆかりの場所もたくさんあります♪ 名所図会の原本画像は国立国会図書館デジタルコンテンツで見ることができますよ。
<今後の予定>
11月例会
11月29日(水) 13:30~ NPO・ボランティアサロン(フォルテワジマ6F)にて
12/3(日) 12:00~15:30 勤労福祉会館(プラザホープ)にて
和歌山県ボランティアフォーラム